歩歩是道場(ほぼこれどうじょう)
2021年6月8日
尊敬する先生から以前
教えていただいた禅の言葉を記した本をひさぶりに開き
読み返してみると
この言葉に目が止まった。
意味は学べる場所はどこでも転がっている
歩きながら道端の草木を見ているだけでも学べることがある。
目に映るもに、肌で感じるもの、五感で感じるものすべてが学日の場となる。
(山口昌弘著書:気持ちが楽になる禅の言葉よりビジュアル携書)
若い頃はがむしゃらに、どれもこれもと全部吸収し、実践しようと
盛んに学んだ時期もあったり、あれが正しい、これはダメと勝手な自分の判断で
いいも、悪いもわからないのに決めつけたり、
その中で一喜一憂し、喜んだり、凹んだり、
自分もいろいろ
ありました。(今もですが・・・)
開業して7年、ありがたいことに多くの先生やスタッフの方と
学び合い、共に成長できていることに
ありがたく思う。
最近、自分の中では少し、悲しい出来事がありました。
世阿弥の風姿花伝では
演じる側、客席側、それを客観的にみるさらに外からの視点が大事と記載されている。
自分の感じたエピソードと
また、相手側、客観的な視点を自分も仮想して、できる限りみるようにしている。
でも、なかなか悲しい気持ちにもなる。
怒りの
下には、大きな悲しみがあり、
その下には期待があるという言葉を聞いたことがある。
きっと自分はもっとこうしていけばいいと期待があった上で
悲しんでいるのかもしれない。言葉は難しいそして、わかり合うのはもっと難しい、でもその歩みを自分はやめない。分かり合える大事な人と、明日の未来を作っていきたい。
若い時のがむしゃらさとそして、少しづつ大人になって落ち着いた気持ちで、毎日毎日、一瞬一瞬を大事にどんなことからも学び、そして吸収し、目の前の大切なことに気づける自分でいたいと思う。